清川ロータリーの合理的デザインから福岡の都市伝説を知る

皆さん、こんにちは。ブランコのコピーライター、鈴木 大輔と申します。こちらのメディアにおいては主に掲載する文章の校正を行っていましたが、これからは少しずつ自らも記事を書かせていただきますので、今後ともよろしくお願いします。

私は東京出身で4年前から九州に移り住んでいますが、まだまだ土地勘がなく、もっと街のことを知りたくて休日には福岡市内をウロウロしています。先日のことですが、柳橋付近から清川界隈を散策していたところ、突然にラウンドアバウトらしき真ん丸の交差点に出くわしました。

ご存知の方も多いかとは思いますが、そこは“清川ロータリー”と呼ばれているスポットでした。

ラウンドアバウトの合理性

ラウンドアバウトとは円形交差点の一種で、3本以上の道路が円形のスペースを介して接続され、その交差点には中央島と呼ばれる円形の通行できない部分があります。また環道内には信号や一時停止場所がないことも特徴です。

その歴史は19世紀後半にヨーロッパで景観上の工夫として作られた円形交差点が始まりで、交通システムの一環として設計されたものは1905年にアメリカのニューヨークに作られたコロンバスサークルが最初であるとされています。また同時期にフランスのパリにあるシャルル・ド・ゴール広場(通称エトワール広場)周りの円形交差点も同じように整備されています。

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円形交差点は実に合理的なデザインで、対向車線を横切って曲がる必要がなく十字の交差点よりもスムーズに行き来でき、車両の流れに素早く合流したり環道内で車線変更することを意図して設計されています。しかし初期の頃は進入車両が優先であったために衝突事故が多発したり、交通量が多くなるとすぐに渋滞が発生するような問題もありました。

その後1960年代に入り、イギリスで考案された環道内の車両を優先させるというルールが各国で取り入れられ、現代的ラウンドアバウトの設計基準が確立されました。

あの丸い姿が美しい景観を生み出しているとともに、例えば災害時などに信号機が機能しなくなった場合でも交通網のトラブルを最小限に抑えられますよね。

ラウンドアバウト?ロータリー?

日本でも2013年6月に道路交通法が改正され、2014年9月から全国でラウンドアバウトの運用が始まっています。福岡市中央区の清川ロータリーも形状はいわゆるラウンドアバウトであり、一見さも欧米の街並みのようなスタイリッシュな雰囲気を感じますが、道路標識から考察するにそこはロータリーです。

通常日本のラウンドアバウトを示す標識は青色の規制標識(環状の交差点における右回り通行)ですが、清川ロータリーでは黄色の警戒標識(ロータリーあり)が設置されています。なぜでしょうか。おそらく国としてラウンドアバウトが運用されるずっと前からそこは円形交差点であり、あくまでも現代的な環状交差点ではなく従来のロータリーとして扱われているのでしょう。

なお交通ルールはどちらであってもシンプルです。まず交差点に入る際は一時停止。環道内は右回り。交差点を直進する場合でも右左折する場合でも、左ウインカーを出したうえで抜けて行くだけです。

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しかし清川ロータリーをしばらく眺めていると、どうもルールが守られていない様子。欧米のラウンドアバウトのようなスムーズな動きがそこにはなく、ノンストップで進入する車両もあり危険な感じがしました。皆さん、どうか安全運転でお願いします!笑

福岡の都市伝説

さらに調べてみると、そのロータリーが作られた経緯には昔から語られている福岡の意外な都市伝説がありました。地元ではわりと有名な話ですよね。

かつてその辺りは新柳町という地名で、夜の歓楽街として栄えていました。福岡の夜と言えば誰もが中洲を思い浮かべるかとは思いますが、それはここ数十年の話で、明治時代から昭和30年代までは長崎の丸山熊本の二本木と並び福岡では新柳町が大いに賑わっていました。

実は清川ロータリーの場所にはその当時ちょうど井戸があったそうで、病気にかかり働けなくなったりあるいは死亡してしまった遊女がその井戸の中に投げ込まれていたという一説から、井戸だった部分をどうしても撤去することができず丸いロータリーにしたのではないかと言われています。そして今でも心霊スポットとして噂をされているようです。

福岡の都市伝説の一つに過ぎませんが、何だか気味が悪いですね。

清川ロータリーの中心島。昔は井戸だった?

清川ロータリーの中央島。昔は井戸だった?

ロータリーがそこにあるということ

日本の円形交差点は元々ロータリー交差点と呼ばれ、信号機が不要であるなどの利点から大正時代に数多く設置されました。戦後の高度経済成長にともなって交通量増加による混乱を防ぐために十字の交差点が主流となり、駅前などのほかは急速に廃止されました。市街地に存在する清川ロータリーは実際のところその名残かと思われます。

また清川が新柳町として賑わっていた頃、歓楽街で酒に酔った歩行者と車との交通事故を減らすという目的で、道路を整備する際に交差点をロータリー化したのではないかという説もあるようです。

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いずれにしても清川ロータリーがそこにある理由は、欧米から流れてきた美的で且つ合理的な考え方とディープな福岡の歴史が関わっているようです。

私自身、福岡の“裏の顔”を垣間見たような気がしました。

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普段から街の中で見かけるちょっとした物事や景色について、なぜそこにあるのか、なぜそのデザインなのかなどと思いを巡らせたり調べたりすると、福岡初心者の私のように新たな発見があるかもしれませんね。

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