文化と土地の記憶を写真で結び直して繋げていく。写真家 津田直さんの終わらない旅

ランドスケープを中心に、写真と時間の関係や自然と人の関わりについて表現し続けている写真家 津田 直さん。絵画のようであり、オブジェクトのようでもある、自然を印象的に切り取る作風は、新たな風景表現を切り開いています。

津田さんの作品と対峙する時、いつの間にかその世界に包み込まれ、まるでシャッターを切る瞬間を追体験しているような不思議な感覚になります。津田さんにとって、写真はどのような存在でどんな魅力を持つのか、お話を伺いました。

撮る時は“からっぽ”な状態で

「エリナスの森」より
© Nao Tsuda, Courtesy of Taka Ishii Gallery Photography / Film

―津田さんの写真を拝見して、「風景」を空気感ごとそのまま切り取ったように感じたり、絵や何かのオブジェクトのように感じたりと、さまざまな感覚を体験しました。いつもどのような瞬間にシャッターを切られるのでしょうか。

津田さん 気持ちが昂った時に撮ることはないですね。感情が限りなく静かで自然と同化したような状態で、瞬きをするように静かにシャッターを切ることが多いです。カメラ自体がそういう道具ですよね。カメラオブスキュラ、というカメラの原型があるのですが、それは中身が何も入ってない四角い箱。何も入っていないから外のものがそこに映し込まれるというか、外の世界を少しそこにしまうことができる。カメラ自体がそうなので、僕自身も撮っている時は欲望や感情から解放された、すごく“からっぽ”な状態です。

―自分の内面を写真にのせているのではなく、自分をからっぽにすることで、風景をそのまま切り取っているんですね。

津田さん 撮る瞬間というのは誰も見てないものだから、内面化していまうということはあるかもしれません。ただ、撮っている時はコンセプトやテーマといった“確かなもの”は自分の中に無いんです。出来上がった写真を客観的に見ることで、確からしさというか、輪郭がうっすら見えて、あぁこういうことだったんだなって。

自分の見た光景をそのまま渡したい

―津田さん独自の自然との距離感や写真の切り取り方は、私たちが普段無意識に持っている「木とはこうあるべき」「湖はこうあるべき」という先入観をとっぱらってくれるような気がします。



津田さん その辺りは、イルカたちは言語ではなく自分の中に持ったイメージをそのままドンっと相手に渡して共有する、という子どもの頃に読んだ話にすごく影響を受けています。彼らはものすごく共感力が強いので、イメージや感覚をそのまま仲間に伝えているんです。悲しい話、その共感力を利用してイルカ漁がされるんですが、1匹のイルカを突くとそのイルカの「痛い」というイメージが群れ全体に伝わって、どのイルカも動けなくなってしまうんです。「痛い」というイメージがそのまま伝わるのでみんな自分が「痛い」と思ってしまう。

人間は世界中に言語がありますが、イメージを言語にして、それを言語で伝えて…そこには翻訳した人の意思や気持ち、体験が含まれたり、言語で伝えてもイメージする内容が伝えたいこととイコールにはならないですよね。でも言葉が生まれる前からある自然の風景を、そのまま掬いあげようと思ったら、言語にすればするほど大事なものが落ちていっちゃう気がするんです。

僕が見た光景を、言葉がなければないほど、そのままに渡せる。しかもそれは操作できずに、偶然性も全部含めて渡してしまう。それって結構大事だと思うんです。僕たち人間も動物ならその感覚を持っているはずだろうと、僕が見たそのままを伝えたくて、写真をずっとやってきていますね。

無意識にカメラを選んだ自分




「エリナスの森」より
© Nao Tsuda, Courtesy of Taka Ishii Gallery Photography / Film

―見た光景そのままを残したい、伝えたいということを大切にされているんですね。津田さんが写真家を志したきっかけは何かあったのでしょうか。

津田さん 15歳の頃からカメラは趣味のひとつというか、気になるもののひとつとして持っていました。僕は神戸の出身で、17歳の時に阪神・淡路大震災があったんです、家が全部崩れてしまうほど被害の大きな地域でした。僕は震災当時一人暮らしをしていて、部屋の中もぐちゃぐちゃでベッドも割れたガラスだらけ。着る服すら持って出れなかったのに、カメラとフィルムだけポケットに入れて家を飛び出したんです。

その頃はずっと音楽をやっていたので部屋の中が楽器だらけなくらいなのに、外へ避難する時とっさに手にしていたのは財布でも楽器でもなく、カメラとフィルムだったんです。すごい不思議な話なんですけどね。僕がそれを選んでる、僕は写真をやっていくかもな、とその時気付いたんです。それをきっかけに音楽を辞めて写真一筋で生きて行くと決めました。

撮った瞬間を体感してほしい

「辺つ方の休憩」レセプションの様子

―現在、三菱地所アルティアムにてリトアニアを撮影した「エリナスの森」、太宰府天満宮にてフィンランドを撮影した「辺つ方(へつべ)の休息」という2箇所での展示をされていますが、どちらもただ作品を並べるだけでなく、作品の魅力を最大限に感じられるような空間構成が印象的でした。展示をされる際にこだわっているポイントはあるのでしょうか。

津田さん 今年で福岡に来て6年目になるのですが、九州で大きな展示をしたいなと思っていた時に、ちょうどありがたいことにオファーが重なったんです。違うシリーズの2つのアウトプットを同時期にすることで、多面的に作品をみてもらえるのではと考えました。

展示をする際、僕が見た風景をそのまま体験してもらえるように、空間構成はいつもゼロからつくっていきます。今回も「エリナスの森」では豊嶋 秀樹さん、「辺つ方の休息」では二俣 公一さんに関わっていただいています。





例えば「エリナスの森」は壁面を森の木のように配置し、森の中を自由に歩き回るように作品を楽しんでほしいと構成しています。作品を囲む空間の壁を白いままにすることで、そこから先に広がる世界を感じていただけたら、と考えています。

「辺つ方の休息」では、新緑を撮りながらも水を感じて欲しいなと、水の音を閉じ込める音の領域としてアクリルを重ねています。また、文書館という普段は入ることのできない歴史的な和の空間を活かした展示ということで、高さを出したりななめに配置したりとひとつひとつの写真にふさわしい立体的な見せ方をしています。ぜひ空間全体を含め、味わっていただきたいですね。

―写真家として今後どのようにしていきたいとお考えですか。

津田さん 僕の写真を1度見て終わるのではなく、何度も見たいと思ってもらえるのが目標です。僕がいまなぜ写真をやっているかというと、忘れられていくような文化と土地の記憶を写真で結び直して、途切れそうになったものを繋いでいくためなんです。だからひとつひとつの展示それぞれで完結するのではなく、長く続く終わらない旅の中のひとつのシーン、という感覚でやっています。だから、展示の感想ノートで「この続きをこれからも」っていうメッセージとか、「いまのこの歩みをずっと続けていってください」というメッセージを読めるのはすごく幸せですね。

津田 直さんによる、終わらない旅の一部に触れることができる2つの展示が現在三菱地所アルティアムと太宰府天満宮にて開催中です。津田さんの見た風景を体感して、あなたならではの旅の続きを描いてみてはいかがでしょうか。




「エリナスの森」より
© Nao Tsuda, Courtesy of Taka Ishii Gallery Photography / Film


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