「会田 誠×松蔭 浩之」現代美術家のお2人の持つ美術論

社会通念へのアンチテーゼや批判性を含んだ作品を発表し話題に事欠かない会田 誠さん。そして会田さんも所属するアーティストグループ「昭和40年会」の会長であり、写真、パフォーマンス、グラフィックデザインなど幅広い分野で活躍されている松蔭 浩之さん。

かねてより親交が深く、日本の現代美術界を牽引しているお2人に、それぞれの美術論やこれからのことについてお話を伺いました。

コモンセンスをベースとした会田作品

―会田さんの作品は、観る人の心を鷲掴みにするようなインパクトの強いものが多いように感じますが、そういった作品のインスピレーションはどういったところから得ているのでしょうか。

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会田 普通に暮らしてる中でポっとアイディアが出るのを待つことが多いですね。テレビやラジオ、本を読むとか、そういったものを見ている時は何かアイデアを出そうと思って見ているわけではなくて、脳の中に残った積もった“チリ”みたいなものがアイディアやインスピレーションとなって出てきます。

あまり無理してひねり出すということはないですね。ひねり出すとろくなことがないので、それでろくでもない作品がいくつかあるんですが。(笑)

今は事前にきっちり下調べをして作品に取り掛かるリサーチ型のアーティストが多いし、そういった真面目で立派なアーティストがもてはやされていますが、僕は違うタイプなんです。

偉そうに言うと、無理して調べなくてもみんなが知っているコモンセンスをベースに作品をつくった方が伝わりやすいんですよね。僕だけが調べて僕だけがわかった情報を作品を通して一般の人たちに教え授ける、といった態度にならないようにしたいと思っています。

例えば“戦争画リターンズ”という作品でいうと、“日本はアメリカに負けた”という大抵の人が知ってる前提だけでできあがっています。だから僕の作品は実はわかりやすい作品が多いんです。

みんなが知ってる材料を使って、イメージを少し変えたりねじ曲げたりして、見たことがあるようで見たことがないような作品をつくる、それが美術家のすることだと僕は思っています。

―会田さんに密着したドキュメンタリー映画 「駄作の中にだけ俺がいる」の中で、“絵のタッチにはこだわらずコンセプトをしっかり固めるというスタンス”というお話がありましたが、作品はいつもどのようにつくられているのでしょうか。

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会田 僕はちょっと古くさいタイプだと自分では思ってるので、美術だけでなく文章やエッセイも含め、つくられるものはしっかりとした背骨に色々なものが肉付けされているべき、というような昔ながらの美意識があります。

だから、背骨となる軸がくにゃくにゃしている時は、これはまだつくる段階じゃないなと考えています。

僕が理想としているのは、自分の個性や主体性をあまり出さないという態度でのつくり方です。現在開催中の「タグチ・アートコレクション展」で出している「灰色の山」もそうなんですが、僕がつくらなくても他の誰かがつくってくれたらそれでいい、でも他に思い当たらないのでとりあえず僕がつくったという感覚です。

この逆の態度は、美術でいうと表現主義的と言われているんですよね。そのルーツはゴッホ辺りまでさかのぼるんですが、作者の主観こそすべてで、「私から見えている風景をみなさんに見せるのです」というような態度です。

僕はゴッホをすばらしく尊敬していますが、僕は到底ゴッホにはなれないし、僕の主観はどうでもいいと思っているんです。一般的に芸術活動は表現主義的が中心で、僕も半分はそうだけど、もう半分は非表現主義的な一面も持っていると思います。

―作品と客観的に向き合っていらっしゃるんですね。
会田さんの作品には、エロス・ユーモア・毒というキーワードを感じるのですが、そういったご自身の作風が確立されたきっかけは何かあったのでしょうか。

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会田 多分まずはこういうことなんだと思います。美術大学に行くもっと前、小中高時代など芸術家になろうと思う前からそのキーワードは好きだったんでしょう。

エロスが好きじゃない中学男子はいないですよね。僕の場合は、そういった部分も隠さず正直に使おうと思ったタイプです。

アーティストにおいては、例えばエロスというと滑稽だけど、スケベな気分や雑念、そういったものは私の芸術には出さない、もっと抽象的に美というものを考えて追求する、というように抽象画を描く人もいるでしょう。それはタイプの違いなんです。

僕は庶民派のアーティストでインテリアーティストの方には行かないぞと思っていて、コモンセンスという人間なら誰もが最初から持っているものをベースに正直に使う、その方が生産的な気がしています。

作品は子どものようなもの

映画『駄作の中にだけ俺がいる』より

映画『駄作の中にだけ俺がいる』より

―これまでにつくられた中で、1番思い入れのある作品はありますか。

会田 たまにその質問をされるんですが、いつも答えが思い当たらないんですよね。長く時間をかけたり、「灰色の山」のように中国まで行って描いたような体験全体で思い出深くなる作品もあるけど、10分でできたものと2年かけたものでも僕の中では重さが同じだったりするものもあるんです。たまたま偶然できた子どもみたいな作品は、出来上がったものに対して順列つけたり、比重が偏ったりしないというのが実感です。

作品集に載せていなかったり展示会に二度と出さなかったりするような、明らかに思い出したくない作品も中にはあります。無理して勉強して、締切があるからと無理矢理ひねり出して、失敗すること分かっていても仕方なく作らなきゃいけない時があるんです。ただいろいろ工夫して踏ん張ってみて良くなる作品もあるので、事前にこれは失敗パターンだなと思ってやめる訳にはいかないというのもあります。その辺はあまり法則化されないですからね。

―松蔭さんは現在、瀬戸内の男木島で文芸家の肖像写真展「著者近影」を展示されていらっしゃいますが、その撮影はどのようにされていたのでしょうか。

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松蔭 週刊女性自身のために毎週撮り下ろしていた著者近影では、山田 詠美さんや谷川 俊太郎さんといったビッグネームの方たちとあえて変な仕掛けをせずに向き合い、書かれた著作をその場で読んで撮るということをしてきました。

著者近影は大変オーソドックスな仕事ですが、最近はそういったオーソドックスさが無くなってきていると感じます。デジタル時代から入ってきた今の写真家の人たちは、とにかく幸せに、笑顔にということばかり大事にしていて、人の顔のあり方をひたすら薄めて教えられたような、みな同じ顔に写ってしまうんですよね。

僕が長年かけて見てきた人の顔や写真というのは、その人の積み重ねてきた年輪や考えていることがたった1枚の写真で伝わるということなんです。“人を写す”ということは、表面的なものだけでなく、その人の芯となる部分と対峙してはじめてできるものだと思っています。

表現者としてのお互い

―会田さんと松蔭さんの親交の深さは、お2人が対談されたトークイベントの中でもひしひしと感じたのですが、同じ表現者・アーティストとしてお互いをどのように見ていらっしゃるのでしょうか。

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松蔭 僕はね、初対面の時から「この人はスターになるな」と思っていましたね。アイドル的要素もあるし。出会った当時は僕の方がちょっとチヤホヤされたり羽振りが良かったので、僕が会田を引っ張って行こうという思い上がった感覚はあったかもしれないですが、彼がキャリアを積み上げていく中で次第に僕の方が頼ってしまうこともありました。

いつ潰れてもおかしくなかった東京・神保町にある美学校という場所で彼が教えたことによって、「Chim↑Pom」というアーティスト集団が生まれるきっかけになったり、会田はこれだけビッグになっていながらも、そういった“末端だけど先端”という場所にもちゃんと気を配っていましたね。とても信頼できて真面目で、僕は男としてこんなに頼れる人はそうはいないと思ってます。

―会田さんは松蔭さんのことをどう見ていらっしゃいますか。

会田 いろいろな作家がいて良いと思っているタイプなので、他の作家のことは本当はわからないんですが…。松蔭くんは、どちらかというとロマン派で熱い表現主義的な人ですね。そういう意味で僕とタイプは違うんですが、デビューが早くて数奇な運命をたどっている面白い人。高校の頃からアートやカルチャーをすごく愛していて、愛がすごい人です。うまく言えないですが。(笑)

松蔭 その辺でいいんじゃないですか?(笑)そのくらいしかないんですよ。(笑)

ファンを総入れ替えする個展

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―これからやってみたいことはありますか。

会田 実はいま小説を書いています。書き始めるまでに20年かかりましたが、20歳くらいの美術予備校生や大学生が出てくる青春群像ものでして、僕が学生だった1986年の油絵科が舞台で、僕の今にいたる現代美術のルーツを描いています。

松蔭 きっとドラマ化された「アオイホノオ」より面白いと言われるんじゃないですか。

会田 そうですかね。まぁ「アオイホノオ」みたいな小説です。「アオイホノオ」よりは面白くならないですよ。僕の小説の方がどうせ芽が出ない可哀想な油絵科ワールドです。(笑)

―油絵科ワールドの日常を切り口に、会田さんの美術論が垣間見えるような小説ということでしょうか。

会田 そうしときましょう。

―トークイベントの中で、7月にミヅマアートギャラリーで予定されている個展でご自身のファンを総入替えするというお話がありましたが、どんな個展をされるのでしょうか。

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会田 簡単に言えば、お通夜みたいなオープニングになると思いますよ。会田終わったな、というような(笑)

―それはとても気になります。(笑)これまでの作風から意図的に路線を変えたということでしょうか。

会田 7月にやるのは抽象画の展覧会です。これまでも、ドイツの哲学者ハイデガーの哲学書を読みながら油絵を描き、それをビデオで撮り続けるというような、“美術と哲学シリーズ”という仕掛けありきの抽象画は描いていましたが、今回はそうではない本当の抽象画です。

80年代辺りまで日本の現代アートの平面といえば抽象画が主流でしたが、具象画の方に針が振れてきたのがここ20年くらいだったと思うんです。そういう流れの一部に僕も加担していたんですが、その20年の蓄積をご破産にするような展覧会をやります。(笑)でも前からやりたかったんです。

アートは大人のコミュニケーション

―松蔭さんは、今後どのようなことをやっていきたいとお考えですか。

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松蔭 とりあえず瀬戸内にある男木島で重要なことをやります。

まちおこしや地方再生でアートを取り入れて頑張ろうという動きが最近多いですが、僕はそういうのが大嫌いなんです。そもそもアーティストになろうと思ったのは、目立ちたいとか、自分にそういう才能があると思ったからそれを実力に変えていこうと頑張ったり、大人の女と付き合いたいから頑張っているわけです。それなのになぜ、キャリアを増してくると子ども向けのワークショップや人を集めて絵を描かせたりしなきゃいけないのか、というのがとても疑問でした。

スマートに言うと、アートは大人のコミュニケーションなんです。だから“18禁のアート”みたいなことをしたいと考えています。

会田さんが森美術館で個展をした際に18禁の部屋をつくったというのも特殊な例ですが、僕はとにかく「アダルト」というキーワードを出していきたいなと思っています。おじいちゃんやおばあちゃんが元気になるか、バッタリ倒れてしまうようなインスタレーションを意識しています。

いまは高齢化社会で変に子ども扱いしているけれど、おじいちゃんやおばあちゃんもしっかり大人なんですよね。おばあちゃんがイケメンの俳優を見てポーッとなったり、おじいちゃんがビキニのおねえちゃんを見たりしてるわけです。そういう人たちに最後まで大人を全うさせてあげられるような作品を発信していきたいですね。(笑)

―男木島のインスタレーションがとても楽しみです!本日はありがとうございました。

インタビュー中にも登場した、中国まで行って制作された大作「灰色の山」が、三菱地所アルティアムにて開催中の「タグチ・アートコレクション しあわせの相関図」で現在展示中です。

会期は5月29日(日)まで!果てしない時間と労力の末に生み出された大作を間近で見る貴重な機会をお見逃しなく!