写真家 石川 竜一の作品が放つ強烈なパワーの秘密

2015年に木村伊兵衛写真賞を受賞し、現在もっとも注目を集めている沖縄出身の写真家、石川 竜一さん。

9月3日(土)〜9月25日(日)の期間、福岡・天神イムズ内にある三菱地所アルティアムにて「石川竜一 okinawan portraits 2012-2016」を開催中です。

切り取っているのは沖縄で出会った日常の風景や人々の暮らしながら、1枚1枚の写真が強烈なパワーを放つ石川さんの写真たち。どのようにこれらの作品が生まれるのか、石川さんにお話を伺いました。

写真との不思議な出会い

―石川さんが写真に出会われたきっかけは何だったのでしょうか。

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石川 20歳くらいの頃、散歩をしていたらリサイクルショップのおじさんに「おい兄ちゃん、これ買ってけ」「2000円のやつ1000円でいいから持ってけ」と言われ、カメラを買いました。

トリップ35というオリンパスのちょっと可愛いカメラだったんですが、とりあえずパチパチと撮ったら何も写っていなくて、カメラって難しいなと、知り合いや友だちにカメラのことを聞いて回りました。

結局写真が映らなかったのはカメラが壊れていただけだったのですが、その事実を知った時には既にカメラについてだいぶ詳しくなっていたので、壊れていたということを知って腹が立って、バイトしてお金を貯めてカメラを買ったのがきっかけですね。

―それまでは写真を撮るということはしていなかったのでしょうか。

石川 どちらかというと写真は嫌いな方でした。例えば子どもの頃くらい昔であれば良いんですが、終わったことをいちいち思い出したくないので、昔の自分の写真を見るのが嫌で、写真はあまり好きじゃありませんでした。

周りの友だちは音楽をやっている人が多かったので、僕もどちらかというと、音楽を聞いたり映画を観たり本を読んだりする方が好きでしたね。ちょうどその頃落ち込んでいたこともあり、他にやることがなくてふらっと道を歩くことも好きでした。

―当時はなぜ落ち込まれていたんですか。

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石川 中学に入る頃から親の勧めでボクシングをしていたんですが、ちょうどその頃にやめたんです。ボクシングは選手生命が短い割に、ちゃんと打ち込んでいないと勝てないので、本当にみんなボクシングだけの生活になるんです。通っていたジムの人やプロの人を見ていても、ボクシングをやめたら何もできないというか、やめた後が大変そうな人が多かったので、続けることに憧れもなく、最初から学生が終わったらやめようと思っていました。

ボクシングをやっていた頃は、朝起きて走って学校行って寝て、練習行って帰ってご飯食べて走って寝て…という毎日同じサイクルで動き続けていたので、やめた後は平日働いて週末友だちと遊んで飲んで…という普通の生活に憧れていました。

でも学生時代を通して一生懸命ボクシングだけをしていたので、実際やめてみると、憧れていた普通の生活だけでなく他のことも何もできることがなくて、それで落ち込んでいましたね。

―そんな時に写真と出会ったんですね。石川さんはひとつのことにハマると、とことんのめり込んでしまうタイプなんですね。
石川さんにとって、写真はどのような存在なのでしょうか。

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石川 写真を始めて10年くらいになりますが、いま頭の中は写真だらけです。でも、“ただ写真を撮っている”だけなので、自分の中で写真がどんな存在なのかはなんとも言えません。

写真を始めた当時も、写真家になりたいという気も写真に憧れもなくて、ただ働きたくなかっただけなので。(笑)

実際いまは、自分の行動することや考えることは全て写真とつながっているので、例えばどこかに遊びに行く時も、写真が撮りたいから行くのか、そこに行きたくてその延長線上に写真を撮るということがあるのか、自分でもよくわかっていません。でも出来るだけ写真を目的に行動はしたくないと思っています。

―どういった時にシャッターを押したくなるのでしょうか。

《絶景のポリフォニー》 八重瀬, 2014 © Ryuichi Ishikawa

《絶景のポリフォニー》 八重瀬, 2014 © Ryuichi Ishikawa

石川 それは本当に気分次第なんです。ただ楽しいから撮っていることもあるし、ああ良いなと思って撮っていることもあります。

僕が「写真って面白い!」と思うのは、撮った写真を後から見返した時に、自分の知らなかった一面が見えるところなんです。だからできるだけ意識的じゃなく、もっと自然に写真を撮っていけたらと思っています。

―昔は過去を振り返ったり写真を見る返すのが嫌いだったのに、いまはそれを魅力に感じているんですね。

区別をなくしていく

―作品の中でもポートレート(人物写真)の割合が多いように感じるのですが、石川さんにとってポートレートとほかの写真では何か違いはありますか。

《okinawan portraits 2010-2012》 OP.000010 浦添, 2010 © Ryuichi Ishikawa

《okinawan portraits 2010-2012》 OP.000010 浦添, 2010 © Ryuichi Ishikawa

石川 うーん…写っているものが違うんですかね…。(笑)何かの違いについてあまり考えたことがないです。どちらかというと、区別とかカテゴライズすることなく、そういったものを全部まとめてごちゃごちゃにしたいなと思っています。

もちろん区別やカテゴライズが全くないとは言わないですが、いろいろな形があっていいし、いろいろな形があるということは、それぞれの区別がなくなっていくことだと思うので、そういう風に区別なくごちゃ混ぜにできたら良いなと思っています。

いまはまだ自分の中でポートレートとスナップが分かれている部分があるので、「okinawan portraits 2010-2012」と「絶景のポリフォニー」は、それぞれにポートレートとスナップをまとめたんですが、本当は分けない方が良いと思っているので、自分の中でその2つの共通点を探しています。

その2つの共通点が、今回の新作写真集である「okinawan portraits 2012−2016」には少しずつ出てきているかなという気はします。

―ちょうど新作のお話が出たところで、本展の見どころや、特に見てほしい作品・視点がありましたら教えてください。

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石川 なんですかね…「面白いでしょ」って見て欲しいですね。(笑) 一応いまいくつかの作品を「okinawan portraits」というタイトルで発表はしていますが、色々なことが沖縄に限ったことではないんですよね。

写っている人はみな違うし、立場も違うけど、“違い”よりも自分との“共通”の部分や、自分がここにいたら、もし自分がこの人だったら…という可能性を想像して欲しいです。

作品に登場している人達も、いまはこういう場所でこういう状況だけれども、別の場所に行ったり時が経てば違う生活をしているはずですよね。自分でポートレートを撮っていて楽しいなと感じるのもそういう部分なんです。だから、この人とこの場所で出会って写真を撮りたいと思ったということを大切にしています。

例えば、今回展示されているある男性のポートレートの場合、街で出会ってから写真を撮らせてもらうまでに4年かかりました。(笑)

―4年も…!

石川 そうなんです。しつこいですよね。(笑)はじめはすごく警戒されてしまったんですが、足繁くその人のところに通ってコミュニケーションをとるうちに、次第に心を開いてくれて、写真を撮らせてもらいました。

写真を撮るということは相手を受け入れること

―「この人を撮りたい」と思った時は、いつもどのように声を掛けられるんでしょうか。

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石川 時と場合によりますし、相手にもよりますね。例えば極端な話をすると、中学生の少年に「こんにちは。恐れ入りますが」と言ってもしょうがないというか、余計に怪しまれてしまいますよね。(笑)そんな時には「ウィッスー」みたいな声の掛け方をするし、堅そうな人には堅い感じになりますね。

写真ってそうだと思うんです。いつでも誰が相手でも同じような自分でいるってありえないじゃないですか。だから、できるだけ相手を引き出して自然なままでいてもらうには、自分を押し付けるんじゃなく、その状況や相手をそのまま受け入れたり、相手に合わせるということが大切だと思っています。

自分が考えていることや自分の気持ちだけは、ちゃんと伝えられたらそれで良いと思っているので、声の掛け方もその時々で全然違いますね。

―コミュニケーションありき、ということですね。写真もコミュニケーションのひとつですしね。

沖縄が特別なわけではない

―沖縄の人や風景を切り取った写真が多いですが、自分の生まれ育った沖縄への思いは何かあるのでしょうか。

《okinawan portraits 2012-2016》OP2.0006178 宜野湾, 2016 © Ryuichi Ishikawa

《okinawan portraits 2012-2016》OP2.0006178 宜野湾, 2016 © Ryuichi Ishikawa

石川 特にないです。(笑)ないというか、写真を撮るということは、その人やその場所、さらにその場所の歴史とも関わることなので、その人らしさ・その場所らしさというのは写真に写ってきますよね。でも、それを過剰に、というか意識的に掲げるつもりはないです。

僕は元々積極的にどこかに出掛けるタイプではなくて、自分が過ごしているところで会った人と話をしたり遊んだりしたいと思っているので、沖縄で生まれて育ったから沖縄で写真を撮っている、というのが一番の理由です。

でも僕のそういう考えとはまた別に、沖縄の抱えている問題ももちろんあります。それは写真を撮っていれば絶対に映ることなので、意図的にアピールしようとは思っていません。最近は沖縄にいることも少なくなり、その場所その場所で同じように写真を撮っています。

―写真を撮り始めた当初は写真家に興味がなかったとおっしゃっていましたが、いま実際に“写真家”をされていて、この先もずっと写真家でありたいとお考えでしょうか。

石川 どうでしょう。(笑)本当にそういうことは考えていないです。いま写真を撮らなくなったらというのは想像できないけれど、写真を撮らなくなったからって死ぬのかと言われたら死なないと思うし、別に何もやらなくてもいいと思っています。

でも確かにいまは写真のことしか考えていないですね。あとご飯のことくらいですね。(笑)

―写真が既にご自身の中に入り込んでしまっているんですね。福岡でもぜひ美味しいご飯をたくさん食べてください。(笑) 本日はありがとうございました!

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石川さんはご自身の考えを、飾らず正直に自分の言葉でお話をしてくださっていたのがとても印象的でした。

世の中にあふれている“区別”にとらわれず、目の前にいる人や風景をありのままに受け入れ向き合うという石川さんのスタンスが、被写体の魅力を引き出し、写真1枚1枚の持つ強烈なパワーにつながっているのかもしれません。

新作「okinawan portraits 2012-2016」は全国に先駆けて本展が初公開。強烈なパワーを放つ写真たちがズラリと並んだ空間には誰もが圧倒されてしまうこと間違いありません。

ぜひこの機会に足を運び、1枚1枚の写真にどんなストーリーがあるのか想像してみてくださいね。

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