「センスは才能じゃない、磨けるものだ」
ここ数年で、この考え方はずいぶん広まりました。水野学さんの『センスは知識からはじまる』がベストセラーになり、SNSでも「センス=知識量」という言説はよく見かけます。多くの人が「なるほど、センスは努力で手に入る」と納得したはずです。
でも、ここでひとつ疑問があります。
磨けるものだとわかっているのに、なぜ自分のセンスは一向に育った気がしないのか。良いものを見ましょう、インプットを増やしましょう。そう言われて実践してきたつもりです。Pinterestも見ている、美術館にも行く、おしゃれな人のInstagramもフォローしている。なのに、社内のデザイナーが何気なく言う「なんかいいね」「ここ惜しいね」の判断に、私はまだ追いつけない。「センスは磨ける」という言葉は、希望であると同時に、磨けていない自分へのプレッシャーでもあります。
この行き詰まりの正体を知りたくて、社内のデザイナー4人に、センスについて聞いてみることにしました。いろんな角度からの意見が欲しかったので、経験年数は3年から20年以上と、幅広い方に聞いてみています。
「磨ける」のは全員一致、本題はその先でした
「センスって才能だと思いますか?」と聞くと、4人とも答えは近いものでした。才能ではない。知識や経験の蓄積である、と。中には「初期の要領の良さは多少才能かもしれない」という声もありましたが、本質は後天的に育てるものだという点で全員が一致しています。
正直なところ、ここまでは想定内でした。「やっぱり磨けるんだ」で終わるなら、この記事を書く意味がありません。本当に聞きたかったのはその先です。磨けるとして、なぜ磨けている人と磨けていない人がいるのか。同じように良いものを見ているはずなのに、差がつくのはなぜなのか。
その答えは、2つ目の「センスが育ったと感じた瞬間は?」という質問の答えにありました。
良いものを見ているだけでは、センスは動かない
4人の答えを並べてみて気づいたのは、センスが育った瞬間として「何かを見た」体験を挙げた人が一人もいなかったということです。
ある人は、感覚でやっていたデザインを「情報整理」として言語化して捉えるようになったとき。ある人は、新しい挑戦を通じて知識を取り入れる回路が増えたとき。またある人は、自分の中にない視点を人からもらえたとき。中でもいちばん意外だったのは、ベテランデザイナーのこんな言葉でした。
「きっかけは意外と、目から入る情報じゃないことが多いんです。言葉で思考が整理されて、頭の中の新しい領域がアンロックされたような感覚になります。」
視覚からの情報を大切にしているはずのデザイナーが、センスの転機として、対話と言語化を挙げていました。
つまり、全員が語っていたのは、見た量の話ではなく、見たものをどう咀嚼したか、の話でした。ここで、私がなぜ行き詰まっていたのかがわかった気がしました。良いものを見る、という入力だけを増やして、それを言葉にする、整理する、問い直す、という処理をほとんどできていなかったのです。足りなかったのはインプットの量ではなく、インプットの扱い方でした。
見て終わりにしない、デザイナーたちの地道な努力
4人とも、日常の中にセンスを育てる習慣を持っていました。街で見かけたフライヤーやショップカードを持ち帰ってファイリングする。きれいなパッケージをコレクションする。少し背伸びをして、ハイブランドや高級な飲食店に足を運んでみる。逆に、SNSの雑多な情報はあえて見ないと決めている人もいました。
一見すると、良いものを見る習慣のように映ります。でも、共通していたのは、見ることを受け身で終わらせていないという点です。「これは何かの模倣ではないか」「中身が伴っているか」「本当に世の中に愛されているか」そうやって問いを立てながら見ている。見たものに自分なりの意味づけをする地道な往復を、年単位で続けている。その積み重ねが、「なんかいい」を言語化できる力の正体なのだと感じました。
センスを動かすための、小さな一歩
思い返せば、私にも一つだけ心当たりがありました。ブランコで広報として写真を撮るときにフィードバックを受けたり、社内でデザインのフィードバックが飛び交うのを見ているうちに、少しずつ見え方が変わっていった経験があります。ポスターの構図、Instagramのトーン、身につけるものが与える印象。それらが「なんとなく良い」から「こういう理由で良い」に変わったのは、良いものを見たからではなく、良さの理由が言葉になっているのを受け取ったからでした。
「センスは磨ける」は、嘘ではありません。ただ、それは「良いものをたくさん見れば自然に育つ」という意味ではありませんでした。見て、言葉にして、問い直して、また見る。その回路ができて、ようやく動き出すもののようです。
もし今、良いものを見ているのにセンスが育っている気がしないなら、足りないのは量ではなく「言葉にするステップ」かもしれません。明日、何かが目に留まったら、なぜ目に留まったのかを一言だけ言葉にしてみてください。その一言が、見るだけでは動かなかったセンスを、少しだけ動かしてくれるはずです。
