人と共に生き、時代と共に歩み続ける「津屋崎人形」

和やかで愛くるしい津屋崎人形が出来るまで

前回の記事でも紹介したように、津屋崎人形には江戸時代中期から重ねてきた長い歴史があります。代々受け継がれる製法や材料について説明しましたが、今回は作り手である、7代目の原田 誠さんに伺った、制作する上で苦労した事や代々受け継がれる伝統の中で変化するものについてご紹介します。

筑前津屋崎人形巧房7代目、原田 誠さん

江戸時代生まれの表情と共に代々受け継がれる型

津屋崎人形の形を創る2枚型の「型」。最近では業者に型を作ってもらう方が多いようですが、原田さんはご自身で作られています。
昔は土で作られていた型も現在は石膏になり、だいぶ楽になったそうです。それでも、型は人形の大元を作る重要なものでもあり細やかな模様が入っている部分をみると、とても神経を使われていることが想像できます。その型に入れ込む粘土の量にも工夫があり、大きい人形はバランスを保つために上部を薄く下部は厚くなっています。2枚型で作られているため中が空洞で繊細な造りの人形ですが、このような隠された工夫が人の生活に寄り添い続ける歴史の土台となっているのかもしれません。

津屋崎という土地を目一杯吸収して造られる人形たち

型ができれば「乾燥」へ。焼く前に水分を飛ばすために人形を乾燥させるのですが、ひび割れを防ぐために自然乾燥を行っています。せっかくなのでと釜や型が置いてある場所へ案内してくださいました。その場所へ移動するため外へ出た際に感じた津屋崎の風は穏やかで、この風の中で乾燥していく工程は独特な和やかさがある津屋崎人形を作り上げるのに重要な役割であることが分かります。

繊細な工程の裏で静かに燃え続けてきた津屋崎の重鎮

乾燥が終われば、焼く工程に入ります。使用するのは前回の記事でも紹介した100年の歴史がある釜。上部にある大きな窪みの中に、大きい人形から順番に重ね入れて、800度から900度でじっくりと8時間ほど焼いていきます。100年もこの高温に耐えながらじっくりと人形達を焼く釜。その凄みがずっしりと構えるその姿に表れています。

繊細な彩りが繋ぐ100年変わらぬ柔らかな表情

他にも特に気を使われていらっしゃるのが顔料。

引用元:筑前津屋崎人形巧房 公式Facebookページ

アクリルと顔料を併用されているので、その性質や見え方を考えながら配色されています。アクリルは光沢があるので肌ではなく服に使用したりしています。また、顔料には使いにくいものや使いやすいもの、原材料が昔と変わってしまったものがあるようで、それぞれ各地から取り寄せていろいろ試されている原田さん。京都の胡粉を以前勧められて使用したものの使いづらく、今は博多人形師さんたちが使用している胡粉を使っています。昔から使用されていた鉛の入った光明丹も現在は鉛が入ってないものが多く、質感が変わってしまったそう。使いにくかった顔料について苦笑いを浮かべたり、生きた表情を作るために施す化粧について真剣に話される原田さんを見ていると彩りがいかに人形に命を吹き込んでいるのかが伝わります。

制作過程についてお話しされる中で「勘です。『勘が多いですね』とよく言われます。」とにこやかにおっしゃっていた原田さん。40年以上も津屋崎人形と時を共にし、津屋崎という土地で人形達と時代を見つめ、新しいものに共に挑戦しながら歩んで来られたからこそ、「勘」ではなく体が覚えているんですよね。

時代の反映

前回記事で取り上げた津屋崎人形をより楽しむためのポイント「表情」、「耳」、「傾き」。それ以外にも是非気にかけて欲しい部分があります。それは、「どの人形がどの時代に創られたのか」です。長い歴史のある津屋崎人形。代々受け継がれる工芸品でありながらも昔のものにとらわれず、その時々のものを取り入れてきました。例えば戦時中には軍事ものを制作。昔流行っていた滑稽ものも現在も多く見られます。

眠った童子がモチーフになっている人形達は、「寝る子は良く育つ」の願いのもと、そのむかし眠りものが流行したことがきっかけ。

引用元:筑前津屋崎人形巧房 公式Twitterページ


宮地岳線が廃線になる際には、最後に走った361形の電車も作られました。コロンとしたシルエットと、津屋崎人形ならではの発色の良い黄色が可愛らしいですよね。

最近のものでいえば、人種を超えて多種多様になってきているごん太。
グローバル化が進む今の時代ならではの展開です。津屋崎人形で長年親しまれているモマ笛も、少しずつ表情や形を変えながら受け継がれています。

工房には歴代のモマ笛が並んでいます。


どの人形がどの時代に作られたかを知った上で見てみると、自分の知らない時代が垣間見れてより面白いですよね。

伝統の継承

40年以上も津屋崎人形師としてお仕事を続けていらっしゃる原田さんですが、型を新しく変えたのはこれまでで2~3回。

代々受け継がれている型の数々。1番古いもので安政6年のものがあります。

以前使用されていた土で出来た型も石膏で出来た型と一緒にずらりと並んでおり、大きい型には作られた年号と作った人の名前が入っています。先代の名前を型という形で背負いながら引き継がれていることに、津屋崎人形の穏やかな表情の裏に隠れる100年続く伝統の重みを知ることができます。また、原田さんは作業する際にすす竹で出来たご自身のヘラで作業されていらっしゃいます。道具からしっかりと選定する姿勢から、引き継がれている伝統を形にしていく強い想いが感じ取れます。

生活に馴染む文化の継承

長い歴史とこれだけの丁寧な工程で形作られてきた津屋崎人形。制作の過程でひびが入ったり欠けたりなどした作品はその後どうなるのかを伺うと、「年に一度、訳あり品の色つけワークショップを行っています。」とのこと。8代目の原田 翔平さんは商品にできなかった作品を活用するイベントを定期的に開催されており、いろんな人に親しんでもらうことで、文化の継承に繋がっているのだと思いました。興味のある方は、まずは筑前津屋崎人形巧房さんが開催するモマ笛の絵付けワークショップに行かれてみてはいかがでしょうか。8月18日にVIOROの6階にあるLOTTO AND TRES、21日には福岡県庁の福岡よかもんひろば、26日にはGOODAY FAB DAIMYO minneのアトリエでそれぞれ行われます。原田さんが普段行なっている絵付けを自分の色で体験する楽しい時間になると思います。

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